143話
ハモンドのナイフをするりと躱し、力量の差を見せつけて指を4本切り落とした彼は、ほとばしる鮮血に動揺してしまっていた。
もちろん、身体が吹き飛ぶのも鮮血を見るのも一度や二度じゃなかったが、自らが殺意を持って切り落として見えた手の平の断面の生々しさを得も言えぬものだった。
これから命を奪おうとしているのに、4本もの指を奪い、今後の人生に多大な不便を強いることになってしまったという申し訳なさのせいで、そこから目が離せなくなった。

そんな感じの懺悔にも似た思いが油断を生み、蹴り飛ばされてしまった。
なぜ、急に人殺しに対して常識的な罪悪感がもたげたのか。
それは、自己防衛か二重人格ともいうのか、実態のない咎める声が頭の中に響いていたからだった。
人を殺すな。
人殺しになるくらいなら殺されろ。
弾を避けるなとさえ言われた彼は、とてつもないプレッシャーを受け入れてしまった。

そして放たれた銃弾は確かに彼の頭部に着弾したが、頭蓋骨を削った辺りで生存本能に身体が反応した彼は身体を逸らし、致命傷を避けた。
躱せばもちろん咎める声に罵倒され、殺すより死を選べと迫ってくる。
彼は脳内の声に言い返した。
愛してくれる両親がいて、ここまで生かしてくれた多くの人がいて、死んだら悲しむ人がいると。
そう言えば、ハモンドにも同じように大切な人たちがいるはずだと言われ、殺していい理由はないんだと諭される。
だが従うわけにはいかず、咄嗟に木の裏に隠れた。
まさか至近距離の発砲の弾道を読んで致命傷を避けられたことに驚愕したハモンドは、神城に次ぐ脅威になると思い、気合を入れ直した。
全ては、神のためだった。
何としても死を迫ってくる声に、彼は再度言い返した。
大事なガールズを守る為に止む無しの殺人、犯人側に与する悪党だから止む無し、保菌者を殺して来たのに今更だから止む無し。

それらの理由があるから殺すのだと言えば、今度は誤魔化すなと怒鳴られた。
言われるまでもなく、保菌者と人を殺すのは別物だった。
保菌者になったいいんちょを始末できたのも、肥大化して歪な化物になったからだと指摘されれば、否定できなかった。

結局高木も殺せず、言葉にすることで自分を冷酷な人間に洗脳しようとしていただけだと分析された。
確信を持った声は、どんな理由でも殺人は許されないと分かっているはずだと畳み掛けてくる。
とにかく殺人により精神が崩壊するのを避けようとする声は、命乞いからの話し合いで分かり合えるかもしれないと新たな道を示す。
殺すよりは殺されろ。
それでいいのだと揺さぶりを止めない。
彼は尤もらしい人間らしさを保たせようとする声に、必死で抗った。

頭皮が焼け焦げて垂れた血が目にかかった彼は、手の甲で無造作に拭った。
それでさっきまでの確固たる決意が盛り返し、化物になろうと殺さなければならない理由のため、殺すと鼓舞した。
ハモンドが回り込んできた時にはもう、彼は圧倒的な身体能力で幹を登り、死角でスタンバイしていた。

重力を無視したように幹を駆け下りた彼は、落下スピードも合わせてハモンドに飛びかかった。
だがさすが訓練を受けた海兵隊は、片手だけでも不意打ちを食い止めた。
彼はとてつもないストレスを感じながら、名前と顔だけしか把握していない一人の男の喉に、ナイフを突き立てようと力を込めた。
ハモンドが必死で抵抗すると、筋力は相手の方が上だろうと分かったが、片手対両手ではいずれ押し込めることが感じ取れた。
殺せる状況になったから殺す、殺す、殺す…
その言葉を連呼して言い聞かせていると、ハモンドが話しかけてきた。

神だのなんだのと言っているのは聞き取れたが、最後に何と言ったのか彼は理解できなかった。
そして言いたいことを言えたらしいハモンドは手から力を抜き、ナイフは抵抗なく喉に深々と突き立った。
彼は心を殺して淡々と受け止めようとしたが、まだまだ大きく残っていた日常の彼が鮮明なイメージになって咎めてきた。
平和な高校生活を送っていた少し前の彼は、人殺しなどできる人間ではなかった。

感想
インフェクション141話142話143話でした。
141話は大きな動きもなく、精神的な面が多かったですね。
高校生レベルで運動神経抜群程度の晴輝の自信が本当に通用するのか疑問でしたが、格闘戦なら圧倒できるようですね。
内向的な心理戦が繰り広げられましたが、麗の安否をそろそろ知りたいです。
https://www.kuroneko0920.com/archives/60398
































