109話
金平の言葉はあまりに救いのないものだった。
政治家として野心がないばかりか、日本が国家として危機を迎えていて、それをどうにか改善できる立場にいながら自分にその気はないと宣言しているようなものだった。
しかし、蛍に見つめられたその顔は厚顔無恥ではなく、苦しみながら言葉を搾り出したように見えた。
蛍はそれでも顔色を変えず、冷静さを保ちながら言葉には焦りと熱を持たせ、国民を救うという目的を強調しながら総理就任を促した。
すると金平は薄気味悪く笑いを零し、自分の家族を既に海外に脱出させている、我が身可愛さを優先する政治家だと白状した。
一人の親や夫として十分に理解できる安全策だったが、国民に知られれば一気に求心力を失いかねない行動であり、自らも海外に逃げるんだと叫んだ。

崩壊した国会の近くで、今後の日本の行く末を決める重大な話し合いが行われているとは知る由もなく、ヘリに乗った取材クルーは瓦礫の山を映して惨状を伝えている。
国民も国会議員がいなくなったらどうなるか、すぐには最悪の未来が予想できない。
その時、国会にはおらずデモを先導していた金平は生存していると伝えられ、わずかに希望が湧いた。
しかし、国民の誰も金平に期待など抱かず、磯波姉妹は口汚く罵った。

蓮華でさえ金平の能力を一切信用せず、日本は終わったと口走ろうとしたその時、らぎ姉が否定した。
総理大臣自身が万能である必要はなく、サポートする人間が優秀であれば問題ないと答えた。
蓮華はすぐに蛍がその人材に最適だと浮かぶ。
だがらぎ姉は、もう一つ必要な条件を思い、懸念を募らせた。
金平がこの状況から逃げ出そうとしている発言を聞き、まず秘書の一人が、かつて聞かされた素晴らしい理想を掘り起こしてあるかないか分からない野心に訴えようとした。
しかし、怒鳴られてすぐ黙った。

金平は語り、問う。
国の未来を考えない不真面目な政治家に見えると自覚している金平は、政治家人生には全く後悔がないという。
それはなぜか分かるかと問われた蛍は、話を元に戻そうとしたが、金平はまた怒鳴って答えを催促した。
そんな誰も正解を出せそうもない問いに、蛍は「国民の代表だからです」と答えた。
それが、金平の想いだった。

金平は社会的弱者の声を国政に届けようとしていた、数少ない政治家の一人だった。
私利私欲と欺瞞に満ちて大勢を優先するのではなく、社会の底辺で困窮し苦しむ国民の声を掬い上げ、底上げしようとしていた。
それが国益にならなかろうが足を引っ張ろうが、それこそ金平が政治家でいる理由であり、為すべき信念だった。

金平は政治家としての自分を卑下するが、だからこそ蛍はそこを突いた。
今の総理就任に必要なことは、弱者に寄り添える政治家であり、ならば金平の言葉こそ国民に届くのだと。
やっとその気になった金平は、秘書にカメラを探すよう指示し、傲慢な態度でスピーチを用意するよう命令し、秘書2からタブレットを借りた蛍は凄まじいスピードで原稿を作り始めた。
蛍は金平が海外に家族を逃がしていたことも知っていたが、あえてそれを取引材料に使わず、金平自身の心を変えることで総理就任を決意させる必要があると考えた。
感情が色になって見える共感覚を持っていた蛍は、国を代表する人間に共通して見える、特別な色がなければ国は導けないと判断し、その色が金平にでも出るよう、脅迫ではなく熱意を持ってもらうことで実現させようとしていた。
国民に認めてもらうことも大事だが、総理が総理たる資質を持たなければ日本が立ち行かなくなるのは避けられない。
やれること全てに手を尽くすのは、保菌者騒動を解決し、今も生きている弟や妹を助けたい一心だった。
秘書が取材クルーに話をつけたのと同時に、原稿が完成した。
ぶっつけ本番で読まなければならなくなったことに金平は不安を滲ませるが、総理になると決めた以上、彼もこれくらいの状況を乗り越える必要があった。

最後の国会議員の金平の姿をカメラが捉え、全国民が期待できそうもない彼が何を言うのか固唾を呑んで見守り始めた。
蛍が考えた演出込みの原稿に素直に従う金平。
もしこのスピーチが国民に響かなくても原稿を作った蛍のせいだと思い、あくまで政治家の自分を卑下しながら目を開いた。
その10秒足らずの沈黙と目を閉じる時間が、蛍の作戦の肝だとも知らずに。
スピーチの内容を見た直後、金平は自分の心の中を見透かしているような内容に目を剥いた。
蛍の説得はこの場に立たせるだけが目的であり、このスピーチを金平に読ませることで総理の資質を持たせるのが狙いだった。

戦後の苦しい時代に母子家庭で育ち、兄妹と自分を育てるために汚いこともやった母親。
政治家の家の子供にしてくれた母のような社会的弱者を救うという信念を持ち、国会議員になった。
そんな思い出話は国民にはどうでもよかった。
しかし、そこから指示通りに一気に声の熱を上げた金平は、具体的になにをどうするのか名言せず、誰もが愛する者を守りたいと思っているはずだと声を大にして叫んだ。
綺麗事でしかない甘い言葉の羅列はしかし、未曾有の大騒動に混乱している人の耳にはするりと入っていった。
口汚く罵っていた磯波姉妹でさえ黙って聞き続け、これからの日本を担う我が子を胸に抱いている麗は、金平の言葉に心を揺さぶられて愛する者を強く抱きしめ直した。

蛍は金平の変化を満足気に見つめていた。
野心もなく、ふてぶてしさだけが際立っていた金平の色が、少しずつ国を導く人物に共通して見える色に変わっていく。
人が考えた言葉でも自らが口にすることにより、金平は変わり、それを聞いた国民も変わっていった。

愛と総理就任を勝手に決めたことを伝えただけの演説。
それでも、テレビの向こうも国会前も感動に包まれた。
そして蛍も、正体の分からない敵と戦う決意をより一層強くした。
感想
インフェクション108話109話でした。
こうなるように金平に接触して誘導していたのなら、頭がキレすぎて怖いですね。
さすが天宮家の長兄といったところでしょうか。
金平が意外といい政治家でびっくりしました。
https://www.kuroneko0920.com/archives/48772































